観た映画×1本

  • 女囚701さそり/伊藤俊也/1972年
    • 8,9点。ストーリー単体で観たらどうってことはないのに、とにかく演出がキチガイで、いちいち列挙するのが躊躇われるくらいに全編過剰演出のオンパレード。とにかく、半乳のまま警察署の前で刃物を振り回す梶芽衣子、アツアツの味噌汁を頭からかぶるおばさま、割れたガラスを凶器に暴れ回るカブキ・ガールを観たい人は必見の映画だと言えよう。あと、穴を掘っちゃ埋め掘っちゃ埋めというクラシカルな懲罰も観れる。
    • 全編に渡って惜しみ無くおっぱいがボヨンボヨンしてるのもプラス要因。観客に向けてのサービス精神を全面に出しつつ、梶芽衣子をマスコットに掲げ独自の美学を貫いており、単なる娯楽映画ではないもうなんだかよくわからない映画になっている。早急に続編も観る。

読んだ漫画×1冊、観た映画×1本

  • アラン・ムーアデイブ・ギボンズウォッチメン
  • ウォッチメンザック・スナイダー/2009年
    • ほぼ並行して読み終えた/観終えたのでいっしょに感想。点を付けたら漫画が8,9点、映画が8点。
    • 映画版は漫画版を下敷きに漫画版をアレンジして成り立っている訳だけど、そのアレンジの手が漫画版の美点になっている部分にまで及んでいるにも関わらず漫画版の本質は損ねること無く成立しているのが映画版のスゴいところ。以下、漫画版・映画版に共通する美点、変更された点・その効果を記述。
    • 共通する一番の美点は映像表現・記号表現の巧みさ。同じアングルやモチーフの重ね合わせがわざとらしいくらいに繰り返されて、各要素がダブルミーニング、トリプルミーニングを持つような構造を持っており、それらのイメージが、偽りの平和は結局は長続きせず振り出しに戻るというメッセージを強めることに貢献している。作品のメッセージ自体はあんまり似てないけど、物語を強めるために作者によってたくさんの仕掛けが施されていて、その狙いを掴むために読み返したくなるような作りをしているという点では『夕凪の町 桜の国』の遠い親戚といってもいいかも。*1
    • このような作品の軸は残りつつ映画化するにあたって変更が施された訳だが、その変更を大きく2つにまとめると以下の通り。
    • エピソード・説明をはしょることによる物語のスピード化
      • 映画では話の本筋に直接関わって来ない部分が大胆にカットされており、漫画に比べて圧倒的にスピード感があって爽快。逆に漫画は「そこまで別に知りたくねーから」というところまで丁寧に説明していて、正直読むのに骨が折れる。冗長とも言える。ただ、カットのせいで映画版ではロールシャッハの正体のヒントが少なくなっているし、また、漫画で詳しく説明されている細部がないせいで、原作読み込んでた勢の中には物足りなさを感じる人もいるかも。
    • キャラクターがスタイリッシュに
      • 各ヒーローのフォルムがスタイリッシュになった。これは話のカット以上に大胆なアレンジだと思う。というのは、漫画版ではヒーローがあまりカッコよく描かれない(ナイトクロウとか普通に中年のおっさんだしね)ことで、逆にいい年こいたおっさんがコスチュームを着て闘うことの滑稽さが前面に浮かび上がっており、それが味になっているという側面があったから。漫画版はこのような視点を持つことでアメコミの中でも特定の位置を占めていたわけで、そこに手を加えるのは勇気のいることだったと思う。アクションシーンもいくつか追加されており、漫画でいまいちヒーローとしての凄味・カッコよさが伝わらなかった部分が補強され、カリカチュアとしての側面が弱まるのと引き換えにストレートにヒーローのカッコよさを強調できている。
    • かくして、漫画版と映画版では共通する美点がありつつ、それぞれに背反する性質の美点も存在しており、まさにいずれアヤメかカキツバタ。甲乙付けがたいが、個人的には漫画版でのDr.マンハッタンの時間の感じ方の表現や構図の取り方の妙を重視して漫画の方が高評価。つーか、一般的に言って映画より漫画の方が好きだから漫画の方が高評価、といっても差し支えないかもしれん。
    • 来月にアラン・ムーアフロム・ヘル』上下巻が出るという…。お金…。

*1:読み返しという視点からみたら、Dr.マンハッタンのトラルファマドール人設定はかなり有効な設定。

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*1:8/6時点ではすでに無かった

サマーウォーズ試写会

  • サマーウォーズ細田守/2009年
    • 光彦と自分の2人が試写会の券を当てたので、ズイケン・だわの二人を加えて特攻。後に実は同じ会場にいたD.C.と合流。
    • 開場30分前に東京厚生年金会館に着いたらすでに300〜400人くらいの列が! 入れないかもとか思ったけど会場自体がでかくて大丈夫だった。ただ、開始ギリくらいに入った人の中には席がなかった人がいたようで、開始時間になっても席に収まりきらなかった人間をどうにかするために上映は15分くらい遅れた。まさに人がゴミのようだ。
    • 映画自体は、まあ、見ればなんだかんだ楽しめると思いますよ? でも、この映画に単なるエンターテイメント以外の何かを期待したらガッカリすること請け合いです。
    • 点を付ければ6点くらいかな。上映直後は7点くらいだったけど、だんだん下がってきた。そのうち5点になるかも。ちなみに一緒に見た人たちが上映直後に付けた点は、光彦→7点、ズイケン→6,7点、だわ→3点、D.C.→9点。だわの私怨とD.C.のクソオタっぷりが光ります。
    • いま思い出せるこの映画のよいところ
      • 夏。入道雲がキレイ。旧家の家構えであるとか、美術はかなりよかった。
      • おばあちゃんが死んだあとの横長のパンのシーンはキレイだったなー。
      • 格ゲー強いっ子がエロい。
      • コメディ的な演出。会場の笑いの沸点は気持ち悪いくらいに低かったけど確かにユーモラスなシーンはたくさんあった。
      • 詫助とおばあちゃんの回想シーンはグッと来たなー。
    • いま思い出せるこの映画の悪いところ
      • なぜヒロインは最終的に主人公に惚れたのか。危機を救ったのが主人公だったからという理屈付けはできるけど、叔父さんへの気持ちの葛藤は描かれないし、そのあたりの描かれ方が軽すぎると思う。ヒロイン無人格すぎ。有り体に言えばビッチ。
      • ヒロイン以外もみんな無人格で、内面を描かれるキャラはほとんどいない。たくさんのキャラが出るアニメだということは知っていたので、「たくさんのコマがそれぞれの持ち味を活かして危機に立ち向かう」ようなストーリーを鮮やかなプロットで紡いでいくような映画を無意識のうちに期待してと思うんだけど、そういうことはほとんどなかった。特に女性キャラの不必要度がかなり高くて、何かをした女性キャラはヒロインとおばあちゃんくらいだったと思う。ぶっちゃけキャラの数は半分でいい。無駄に多い。
      • 内面を描かれないのでキャラが薄っぺらで、泣いても何しても予想以上に感情移入できなかった。時かけでは毎回ボロボロ泣いてたのになぁ…。時かけと同じ表情の付け方をするので余計にさめるというのもあった。
      • 親族なのにみんな特に似てるように描かれていないのも気にはなった。
      • おばあちゃんがなぜスゴいのかよくわからない。つながりって何? コネ?
      • 展開があまりにもぼくらのウォーゲーム。タイムリミット発生→頑張る→世界中の人が応援→タイムリミットギリギリで勝利って! しかもプロット面での積み上げが無いので、ウォーゲームの二番煎じ以上のことが出来てると全く思えない。
      • 序盤がくそツマンナイ。なんでこんなに説明ばっかりするんだろうと思ったら、ツタヤで冒頭9分だけ無料レンタルするんですってね。だからなのか。
      • 葬式シーンも、親族でひっそりやれって言う故人の意思が全く尊重されてないし。ていうか葬式でハッピバースデートゥーユーはいくらなんでもエキセントリックすぎると思うんだよなー。
    • かくて悪いことばっかが思い出されるわけですが、見終わった時点では7点分の楽しさがあったんだよなー。やっぱり、インパクトある映像・大きな音といった劇場的な演出で楽しめてたんだろうな。後で冷静に考えると話的には何もない。でも見終わった時点ではなんだかんだ楽しめてた。
    • だわさんも言ってたけど、サマーである必要は全くないね。サマーなのはほぼ100%商業目的。
    • だわさんが3点とかいいだすのはよくわかる。細田守を愛してる人はこの進歩のなさにはガッカリするだろうね。
    • かくいう自分も時かけ大好きなわけですが、この映画を見てあまりガッカリしないことから、時かけが好きであって、細田守が好きという訳ではないということがはっきりした。
    • 初日の動員以上に1日あたりの動員数が増えることはないんじゃないかな。これがブログの口コミで大当たり!とかになったら絶望する。